合気道釧路道場

合気道の心

いたずらに力に頼り他人と相対して強弱勝敗を争うような見たくれの格闘技などでなく、日ごろ同士と相和して 切磋琢磨をはかりつつ自己の人格的完成をねがう求道である。

開祖曰く!!

求道の到達するところは「宇宙偏在の根源の気と人間(我)の呼吸の気との一体化」であり心身ともによく真剣なる練磨の行を つむることによって、人間の気はおのずから宇宙の気と静的には調和し、また動的には即応しながら絶対不動から自在の気の流れ 、気の力として発現されるとの哲理に開眼をおいて開祖は「気」「理」を和する武道としての合気道の独立を宣したものである。

初見の人が演武を考察するとき、多くは外柔の印象を想定するが、それとは裏腹に意外なほど力動的でしかも関節技や 当て身その他の厳しい技を骨子とするいわば内剛の武道であることに驚嘆するのではないだろうか。

まず「受け手」からはじまり「間合い」「入り身」「体捌き」にいたる基本段階で想像以上に機敏で速く激しい強靭な全身 協応の連続動作を要求され、それらをこなすためにはいかに張り詰めた精神集中力や反射神経や平衡感覚が必要であり、 又いかに全身的な筋力や瞬発力や呼吸力を必要とするか、あるいは自分が相手の動きと合わせて動く相対動作がいかに難しい かなどのことに驚くはずである。

そしてさらに、「固め技」の一教(腕抑え)二教(小手廻し)三教(小手ひねり)四教(手首抑え)五教(基本短刀取り) とすすみ、一方では「入身投げ」「四方投げ」「回転投げ」「天地投げ」その他「投げ技」を習得するにつれ合気道 の技法というものの多様性や合理性に驚くのではないだろうか。

そしてそのような技法面でのいくつもの「おどろき」を経るうちに、おのずからそれらの技法が合気道独自の「気」 と「理」和する哲理にしたがって組立てられたものであることが理解され、ようやくにして合気道の何たるかの手がかり をつかみはじめるのである。

つまり合気道が「不断の心身鍛錬をもって人間求道の平常の行をなす」ことを第一儀とする精神性のつよい武道であることが 認識されるものである。